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憧れの高原列車『小海線』に捧げる叙情詩
小海線ロマン紀行
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第三話 千曲川源流の里と「海」の由来

信濃川上駅 佐久広瀬駅
 JR最高地点、野辺山駅を過ぎると北上していた線路はにわかに東へと向きを変え、いよいよ千曲川の谷へと入って行きます。この谷へ入り口に川上村「信濃川上駅」はあります。まだ建て替えの済まない駅舎が出迎えてくれます。ここには型にはまってしまったような高原のイメージは無い代わりに、交通手段を変えてさらに谷の奥深くへ進めば懐かしいような自然に巡り逢うことが出来るところ。そうここは国内最長の信濃川源流の里なのです。
 線路は谷を横切り、川に沿いながら再び北上する。深い谷間が一瞬開け、数軒の民家が連なるその河原には、増水していればきっと船着き場と見間違えそうな「佐久広瀬駅」(南牧村)があります。バンガローを思わせる待合い小屋が非常に印象的です。この谷を抜けると秩父山系の山懐を源流に持つ本流は、支流「杣添川」と合流し、その流れはさらに水量を増します。南牧村野辺山駅を過ぎてから線路は川上村に入るのですが、佐久広瀬駅からは再び南牧村となります。なんと驚いたことにこの南牧村はこの先「海尻駅」まで4つの駅を持つ村なのです。
 さて、南牧村の3つ目の駅は「佐久海ノ口駅」。ここも昭和初期のデザインを偲ばせる実に趣のある駅舎だ。国道141号線から駅に向かうとその裏手には海ノ口温泉という八ヶ岳でも希少な温泉もあります。そして次の駅が「海尻駅」。ここもまた小さな集落に囲まれたプラットホームに屋根付き待合いがあるだけの無人駅。タイトルの小海線、佐久海ノ口、海尻、次の町小海町と「海」の字が目立ちます。これは太古の昔天狗岳の噴火の際に千曲川や相木川がその溶岩でいたるところを堰き止められ、いくつもの湖が存在したことから、海にちなんだ地名が残っていると言われています。後述する松原湖もその時代の名残の湖なのだそうです。
またこの地方に残る昔話では「でいらんぼう」という巨人の足跡に水が溜まって沢山の湖が点在したと言う伝承も存在しています。この「でいらんぼう」またの名を「だいだらぼっち」は、話題になったアニメ映画「もののけ姫」のなかでもやはり巨人というキャラクターで登場していますね。(つづく
佐久海ノ口駅 海尻駅

第四話 日本の夜明けに隠された史実


松原湖駅(上)
小海駅(右)
 昭和の好景気とともに一般にレジャーというものが普及し始めた頃、八ヶ岳や周辺の湖、渓流なども隆盛期を迎えることになります。湖の名称自体が駅名となった「松原湖」にもキャンプ、釣、登山と訪れる若者が多く、現在でもハイシーズンにはアウトドア派の家族連れや学生グループで賑いを見せています。松原湖とは八ヶ岳東麓の標高1,100メートルの高原にある「猪名湖」「大月湖」「長湖」を総称した名前であり、今から約1150年ほど前(平安時代初期)に八ヶ岳を構成する天狗岳の水蒸気爆発で流れ出た泥流が千曲川支流大月川を堰き止めて松原湖の湖群を作り、その後、流れが少し南に逸れてできたものと言われています。その際、周辺の集落は人も家畜もすべて押し流されてしまいました。近くの『馬流』という駅も、上流から馬が流れてきたことが名前の由来となっているほどです。
 この小海線の名の由来となった『小海町』は千
馬流駅 高岩駅
曲川の支流である相木川の合流点に開かれた町で、中世は武田氏の支配をうけていました。近世になると流域の山林業や養蚕が主な産業となりましたが、現在ではスキー場やゴルフ場をはじめ別荘地やキャンプ場などリゾート地としての観光業が大きな産業となっています。
 さて、路線は「小海駅」から前述した「馬流駅」「高岩駅」へと続きます。このあたりは田畑、農家の物置、古いお蔵などが線路際に所狭しと並んでいて、民家の柵越しがすぐ駅のホームという印象が強いのも特長です。馬流駅には『秩父事件終焉の地』という看板あります。秩父事件は明治時代、板垣退助や中江兆民らの「自由民権運動」と平行するように起きたもので、明治17年、当時の政府が強行した政策で急激に行き詰まった関東、中部地方の農民が、各種税金の滅免、借金の据え置き、支払い延期、学校費の廃止、徴兵令改正などを要求し、秩父地方の自由党員の指導の下「困民党」という名で蜂起したものです。参加者は一万人を越したといわれ、農民が大衆的組織化を行い、経済闘争を越えて武装蜂起で国家権力に対抗したことが特徴とされるこの事件は、8日目にしてこの佐久の地で、警官隊により壊滅させられてしまいました。当時の激戦の跡には農民たちの鎮魂のために記念碑が建てられています。小諸方面に向かう列車が馬流駅を過ぎる頃、左の畑の中に困民党員の像を見ることも出来ます。この反対側の線路際に見事な崖がそびえ立つ姿が目に入ってきますがすが、どうやらこの崖が次の「高岩駅」の名の由来のようです。(つづく


第五話 日本一海から遠い谷

八千穂駅 海瀬駅
 麦草峠から蓼科高原へ抜ける国道299号線。この国道が141号線と交差するところが八千穂村です。今回の「小海線途中下車」はここからはじめましょう。「八千穂駅」は村唯一の駅。駅前には、当地に明治のころからつづく黒沢酒造が設立した「酒の資料館」や、戦時中このあたりに疎開していた高名な日本画家、奥村土牛画伯の作品が展示されている「奥村土牛記念美術館」があります。時間にゆとりのある方はぜひお立ち寄りを。この八千穂駅以北は『高原列車 小海線』の沿線風景も、だんだんと生活感の濃いものになっていきます。もちろん、そうはいっても沿線の旧道にはりっぱな土蔵を持つ旧家が土壁を連ね、佐久往還道の往時を偲ばせる風情があります。車窓からも高原とはまたちがった情緒を味わうことができるでしょう。
 線路は佐久町に入ります。次は「海瀬駅」。この駅は、ここから群馬県へ抜ける前述の国道299号線、通称「武州街道」と線路との立体交差のガード上にひっそりと佇んでいます。その次が「羽黒下駅」。駅前や、そこからつづく商店街に懐かしい昭和の面影を残す駅です。明治の後期から昭和の前半ぐらいまで、八ヶ岳では林業が盛んだったそうです。そのころには伐採現場と臼田町の製材工場とを結ぶため、木材を満載した貨車が機関車に牽かれて小海線を行き来していたはずです。当時、このあたりはどんな様子だったのでしょう。となりの「青沼駅」は田んぼの中の小さな駅です。
羽黒下駅 青沼駅
臼田駅 龍岡城駅
 臼田駅のある臼田町は、文部省の宇宙空間観測所が開設して以来、「星の町」としてにわかに活気づき、さらに信越道「佐久インター」、信越新幹線「佐久平駅」の相次ぐ開業で活性化した町。毎年ここで5月中旬に開催される「小満祭(こまんさい)」は周辺ではもっとも大きなお祭りです。またこの町には、国内で海岸線から一番遠い地点があります。つまりこの町は「日本で海から一番遠い町」なんですね。そして今回最後の駅が次の「龍岡城駅」です。ここには史跡がふたつあります。ひとつは田口峠へ向かう途中の国指定重要文化財「新海三社神社」で、この神社には建立当時(1515年)のままの三重の塔が残されています。もうひとつは函館の「五稜郭」そっくりの城跡、「龍岡城」。函館五稜郭に遅れること3年、慶応2年に落成した西洋式城塞の址です。この城は、当時(幕末)の若き藩主松平乗謀(のりかた)の命によって築城されたそうですが、日本にはこのような星形の城は、五稜郭と龍岡城の2城しかありません。また龍岡城は「日本最後の城」でもあります。ちなみに松平乗謀は維新以後、大給恒(だいきゅうわたる)と名を改め、我が国の勲章制度の創設に携わったり、今日の日本赤十字社の前身にあたる博愛社を設立した人物です。(つづく

龍岡城址 新海三社神社

 
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